20年前の恩師の還暦・退職を祝う会
話はまず20年前にさかのぼる。
高校2年生から3年生に進級しようかという頃、とあるヤツが「10年後にクラス会をする!」と宣言した。皆、やいのやいの!と賛成し、ヤツは、俺が幹事をする!と鼻息荒かった。
しかし、その宣言は、ヤツとほか数名の女子の多大な協力により、6年遅れの16年ぶりに果たされた。ヤツはたいして役に立たなかった。
まぁ、それは良い。元クラスメイトが結構たくさん集まったことに変わりはなく、盛会のうちに終わったから。
ただ、その折、当時の担任の先生も来られていて、ワシもあと4年で停年や、とおっしゃった。
でまた、ぜひ4年後にまた集まってお祝いしようと男子たちが息巻いたにもかかわらず、またしても実現に向けて動いたのは少数の女子の幹事だけだった。
そして、土曜日20年前の恩師の還暦・退職を祝う会、の開催にこぎつけた。
あのクラスの男子が口ばっかりなのも変わってない。
女子の有能さもあいかわらずで素晴らしい。
花束や記念品の寄せ書き(写真つき)・旅行券も差し上げて、先生は喜んでおられた、と思う。
ただ、元担任と私の関係は実は少し寂しい。
私は当時、諸般の事情からあまりクラスで表立った意見を言うこともなく、又、目立たないようにもしていた。それでも文化祭で何やる?の話になった時、なんでだか私が脚本を書いて芝居をすることになり、なんとか書き上げ、配役・演出・監督までやった。
その時、成績表に「普段目立たなく成績もそう良くないのに(!)、あんな才能(脚本上梓のこと)があったとは知らなかった。すばらしい劇でした。」というお褒めの言葉を初めていただいたのだ。
先生から褒められるってなかったから、マジ感動した。
気をよくして、高校3年生の文化祭も専門学校の文化祭も脚本・演出・監督やったよ。
で、4年前のクラス会の時にそれを伝えた。改めて感謝を言いたくて。
だけど担任の返事は
「え?ごめん。全然覚えてない」だった。
がーん・・・・・・・・・・・・。
いいけどネ。ホメラレタのは事実ダカラ・・・(;_:)
集まったのは、20名程度。クラス総数が40人あまりだから半数の出席だ。悪くない。
あの頃、大きく分けて4つのグループがあった。ワル組(男・女)まじめ組(男・女)という風に。
でも4年前も今回も、集まったのは、ワル組(男)とまじめ組(女)だ。ワル組(女)まじめ組(男)も少数だが、いる。
あとは連絡がとれないらしい。
このクラスでは先にも書いたけど、文化祭で芝居をやったりして、なぜだかワルもまじめも、一丸となってがんばった経験がある。
私的には、思い入れのあるクラスだ。
脚本をほとんど当てぶりで書いたから、書きながらこの役はこの人、あの役はこの人なんて、私の頭の中では決定していて、文化祭のまとめ役と共謀して、その人たちが絶対に役につけるように策を弄しちゃったくらい。
悪かったと思ってます。みんなには黙ってたし、一応、投票の結果の役の割り振りということにしてたし。
みんな、ごめんねぇ~\(-o-)/
だれも、ここ読んでないけど、一応謝っておく。
でも、あの時に芝居に参加してくれた人とも会いたいな。
私自身は、ほぼ1年ぶりの社交だった。
最初は手のひらに汗をいっぱいかいて、手が冷たくなっていた。
肉体的にも素の自分を出してたし。
今まで太ってたのを隠すような服ばかり着てたんだ~。
そんな会があるのを忘れて、友達から連絡があって、ありゃ、と買い物帰りに行ったから、ほとんど普段着だったし。
つまり今までいつでも武装して行ってたのを、軽装で行った。
私にはすごいチャレンジだった。
意識してなかったけど、たぶんとても緊張してたんだろうと思う。
その時から、ある程度以上の感情を閉じるようにしてたみたい。
太った!と何十回と言われてプチ切れしたり、人の話に笑ったり、人から言われることになるべく自分に嘘はつかない方向で応対する、はできてたけど早くに疲れを覚えて、早めに帰宅した。
で、シャワーしてる時に、感情はほとばしり出た。まるでシャワーのように。
ちょっとでも実の親と似たところがあれば、すぐ投影してしまうのよね。
で、ものすごくムカつく。
その怒りをちゃんと向けるべき人に向けて・・・という作業は大変なんだけど、今回は楽しみながらできました。少しは客観性も出てきたかな?
親に責任を返す、そう決めてそのように行動するようになってから少し身体が軽いかな~。
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